会派控室にて6月議会の準備をしています。議案に関わる説明を受けて意見交換をしました。6月17日から7月7日七夕までしっかり取り組んでまいります。
いつも議事堂を華やかに彩ってくれる「生け花」に感謝です。
会派でLGBT当事者のお話をお聴きしました。
宙「そら」さん(ゲイ。SNS用セカンドネーム)
本名を使わないのは会社に迷惑をかけない為
平成15年に神戸から東京へその頃より生きやすくなった。
平成9年から25年一緒に住んでるパートナーがいる。
大阪で昨年11月に大きな手術をした。
同意書にサインしたのは全て男性のパートナーだった。
(本人は意識は無い状態)
精神内膜炎で東京医科大学病院で手術した。
看護師の面談、パートナーは男性だと伝えたら。「あーそうですか。ココは新宿ですから。」と初めから理解があった。
4/14に手術。コロナ禍でも面会まで出来た。病院は丁寧な対応をしてくれて、パートナーにもしっかりと術後連絡もしてくれた。全く冷たい対応など無かった。
平成15年当時はこういう対応は無かったと思う。ここ数年で大きく社会的に変わった。こういう時代が来るとは思っていなかった。
社会的地位は担保されたが、会社で後輩(ゲイ)が人権講師として来た時は「そこまでは…」という感覚はあった。
昔はメディアや書籍で差別的な表現があった。それは悔しかった。
差別をした人間は忘れるが、された当事者は絶対に忘れない。
ただ現在は、どこに差別があるのか?という感覚
今は病院の対応をみても全く差別を感じない。多少の行き違いはあるが、問題ない。
(差別)を解消する為に、条例まで作る必要はない。(今は差別と呼べる感覚は少ない)
個人的な意見としては団体が、昔からの差別が続いているという感覚で平等を訴えるのは行き過ぎ。個人でその様に思っている当事者は少ないという実感。
政治的やマスコミ的に絵になるから激しい運動になる。新宿二丁目に通う方々は地味なサラリーマンで華やかさを求めてはいない。
トランスジェンダーは、以前は病気という扱いだったが、今は外れている。
ジェンダーアイデンティの略語を性自認、性同一性とあてた。
陽の当っていない差別も多く存在する。LGBTだけが陽が当たっているが、意識せずに陽が当たっていない差別はある。
今の行き過ぎた条例化が、SNSに本名を出せる社会に繋がるか?そうは思わない。
活動家からするとカミングアウトしない当事者は、当事者ではないという行き過ぎた雰囲気はある。当事者は望んでいない。
人権は闘争ではない。
活動家は輝いて見える。役者の役割をわかって動いている。
柿沼からの質問
条例化されることによって困ることは?サイレントマジョリティーと条例化推進の割合は?
宙さんの回答
条例があるからと言って困ることは無いとは思うが、割合として全体の3%くらいだという認識(電通は10%とうたっているが)行政は少し遅れるくらいが良い。最先端を行政が担うことは似合わない。社会が出すぎた時にセーフティーネットとして行政の出番があるのではないか?最先端が行き過ぎて振り子が反対に振れたときに全て台無しになる。全部が否定される。今は、多様性に注目が集まっているが、長続きはしない。
金野県議からの質問
トランスジェンダーの知人は男性だが、女性として扱って欲しいという。性別はグラデーションだという議論もある。教育もしている。公衆トイレに明らかに男性の背格好の女性認識の方が女子トイレに入ってきて怖い思いをした。差別の当事者の温度差は?
宙さんの回答
LGBTは政治的な表現。全てに差がある。まとめることでインパクトが出る表現にしている。ゲイの話しはわかるが、多様性全体の枠組みに関しては当事者としての意見がある訳では無い。人権は戦わず育てるものだと感じている。
権利が増えることによって、今は普通に思っていること(社宅に入れない)が権利をよこせという風に増えていく可能性は否定できない。
~まとめ~
ゲイは肉体の関係は男女間よりかなりハードル低い。
条例を全て否定はしない。行き過ぎや盛りすぎを懸念している。当事者が講師をするべきではない。客観的に見れる人間がやるべき。当事者は視野が狭くなる。
ゲイとしては当事者だが、トランスジェンダーに関しては当事者ではない。LGBTとしての枠組みで進める事態が難しい場面もある。
条例としては時期尚早だという感覚。人権は文化で育てるべき。戦わないことが重要。
政治闘争に使われることは望んでいない。